素粒子実験とミュー粒子
第2世代の荷電レプトンであるミュー粒子は電子の約200倍の質量を持ち、真空中では2.2マイクロ秒の平均寿命で電子とミュー粒子ニュートリノと反電子ニュートリノに崩壊(ミッシェル崩壊)することが知られています。この寿命は不安定な素粒子としては異常に長い方であり、磁場やレーザー、原子核などとミュー粒子を反応させることによって新しい現象を研究することが可能となります。またミュー粒子は質量が比較的軽いため加速器などで人工的に製造しやすく、稀現象の研究に適しています。特に、近年実現した大強度陽子加速器J-PARCなどに代表される技術革新によってミュー粒子を大量に生成することが可能となり、ミュー粒子を用いた大強度フロンティア研究が大きく発展しています。
ミュー粒子・電子転換過程
負電荷を持つミュー粒子を物質中に止めると、原子核のクーロン場に引き寄せられて、やがて原子核の軌道上に捕らえられてミュー粒子原子になります。ミュー粒子原子では、原子軌道上のミュー粒子は量子力学で記述される波動関数にしたがって存在するのですが、その波動関数の一部は原子核と重なります。このようにしてミュー粒子が原子核と濃厚に触れ合った状態のミュー粒子原子では、真空中のミュー粒子では起こらないような反応が起こる可能性があります。
まず素粒子の標準理論の枠内で起こり得る反応としてはミュー粒子捕獲反応、 μ– + N(A,Z) → νμ + N(A,Z-1)、 があります。ミッシェル崩壊も起こります。その結果、ミュー粒子原子中のミュー粒子の平均寿命は短くなります。ミュー粒子炭素原子では2.0マイクロ秒、ミュー粒子アルミ原子では0.86マイクロ秒といった具合に、原子番号が大きな原子核ほどクーロン場が深くなるため、ミュー粒子と原子核の重なり具合がより濃厚になって平均寿命は短くなります。さてこのときミュー粒子・電子転換過程(図1)、μ– + N(A,Z) → e– + N(A,Z)、も起こる可能性が示唆されています。この反応は、素粒子の標準理論ではニュートリノ振動を介して10-54の確率で起こると言われています。これまでに行われた実験では発見されておらず、分岐比の上限値として4 × 10-12(Ti)や7 × 10-13(Al)が与えられています。ところがこの反応は、暗黒物質を説明したりニュートリノの軽い質量を説明したりできるモデルでは10-17よりも大きな確率で発生してもおかしくないと言われています。宇宙の平坦性を説明するインフレーション仮説で必要となる粒子によってミュー粒子・電子転換過程が発生するかもしれないという説もあります。そもそも、ミュー粒子と原子核を濃厚に触れ合わせるので、全く予想もしないメカニズムで変なことが起こる可能性もあります。
本グループでは、ミュー粒子・電子転換過程を実験的に研究しています。まだ未発見の反応なので、まずは世界で最初に発見することを目指して探索しています。いったん発見されたら、そのあとは詳しい性質を調べる研究に移行します。現在準備を進めている実験はCOMET実験とDeeMe実験で、それぞれ特徴を持った個性的な実験です。